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精神科で言われたこと&舛添さん辞職は都議の無責任じゃないだろうか。

今日は精神科に行ってきたのでそこで言われたことの共有と

舛添さんが都知事を辞職することに関しての雑記。

 

精神科で言われたこと

自分が思っている以上+アルファくらい休むつもりで

今日は2週間ぶりの診察。精神科に初めて行ってからほぼ一か月が経過した。

抗うつ剤であるレクサプロを飲んで治療をはじめてから一か月経ったことにもなる。

ちなみにレクサプロはセロトニンを増やす薬です。

セロトニンとは、神経伝達物質のことで、気分を司るものと言われています。

 

最初は、おなかの調子が悪くなるなどの副作用を感じていたが、1週間で安定していって気分が下がったままになっていたのが落ち着いてきたなと実感した。

この1か月、ようやく当初の落ち込みからは抜け出してきたなとは思っていた。

実家で過ごしているので両親からも元気になったねと言ってもらうことが増えてきた。

俺も仕事に戻れるのかもしれないなって思ったけど、今日会社のビルの近くにいってみたらまた気分が下がって不安になった。

 

そんな状況を医師に話したところ、

「自分が思っている以上+アルファ休むくらいがちょうどいいと思いますので、ゆっくり直していきましょうね」っと言ってくださった。

 

焦っていたなと思うので、医師にそういってくださって本当に助かった。

 

舛添さんが辞職することに関して思うこと

他の都議会議員は舛添さんの不正を見抜けなかったのか。

舛添さんが政治資金を私利私欲を肥やすために使用した事への疑問の声が高まったことで本日付けで辞職した。

 

湯河原の別荘に公用車でいっていたこと、ホテル三日月に家族で泊まった際に公費を使用したこと、シルクの中国服をなぜか購入したこと、などなどの疑惑があげられている。

 

けれども、周りの都議会議員は今まで舛添さんがそのような活動をしていたことを見ていたはずだと思うのである。そういった彼の姿をつぶさに見ていながら、注意することができなかったのか。待機児童の解消、介護に携わる人材の増員など東京都の福祉に関わる問題が山積する状況であるにもかかわらず改善するための議論を進めずに舛添さんの不正な政治資金の利用を追及していたのである。

これで舛添さんが辞職したために都知事選を再度行う必要があり、選挙にお金がかかることになる。

この「政治とカネ」の問題を未然、または最小限にとどめるための工夫は何かできなかったのだろうか。

 

レビュー&抜粋:逆境ナイン第一巻

今日はふらっと立ち寄ったBOOKOFFでたまたま手に取って読んだ

逆境ナイン

っていう野球漫画で感動した言葉があったので、その言葉を抜粋したい。

 

ちなみに、逆境ナイン一巻のあらすじをここに記す。

 

主人公・不屈闘志 が所属する野球部は廃部寸前に追い込まれていた。

それもそのはず、地区予選のベスト4にすら入れない弱小の野球部だったのだ。

そんな不屈が、校長先生に頼み込んで地元の野球名門校・日の出商業に練習試合で勝利したら野球部の存続を認めると伝え、数々の逆境を乗り越えた末に迎えた当日、雨天で相手が試合を放棄したため、不戦勝となった。

試合を行わずして試合に勝ってしまったが、不屈の野球部は存続することとなった。

逆境ナインで感動した言葉

それはそれ これはこれ

不屈の野球部のマネージャーが、練習試合の前に相手の野球部にお弁当の差し入れをしたのだが、そのお弁当が腐っていたため相手チームは全員おなかを下してしまっていたのだ。それに対して不屈は罪悪感を持ちながら試合を続行していたのだが、監督にこの言葉を告げられた。

 

それはそれ!これはこれ!

 

一見単純な言葉であり、どうとでも解釈できるような言葉ではあるがその時罪悪感を持ちながら野球の試合を続行していた不屈の胸に刺さる強烈な言葉であったと思う。自分の野球部のマネージャーがお弁当を差し入れさえしなければ、あるいはそのお弁当が腐ってさえいなければ相手の野球部は体調を崩すことなく全力のパフォーマンスをすることができた。その相手に対して自分たちが勝つことは失礼なんじゃないか、と主人公・不屈は思ってしまっていたのだ。

 

しかし、何事においても勝負の世界はそこまで甘くない。たとえ相手がかわいそうであっても、勝負をしなければいけない時がある。そう監督は不屈の背中を押したのだ。

 

この病気になってから今まで、漫画一冊を読むこともままならなかったのだが、この漫画はなぜか一冊読み切ることができた。以前だったら熱血過ぎて手を取ることすらできないような類の本であるが、今日はそういった気持にはならず素直に読んでみようと思えたのである。

適応障害記録:そもそも適応障害とは?

今日は今抱えている病気である適応障害についてのエントリ。

Google適応障害と検索するだけでも、苦しんでいる方々がたくさんいる。

そういった人たちにとって、私の経験談がちょっとでも参考になればという思いを込めて何回かのエントリに分けて綴っていきたいと思っている。

適応障害について

そもそも適応障害とは?

Wikipediaからの引用となりますが、

適応障害(てきおうしょうがい、:Adjustment disorder:AD)とは、はっきりと確認できるストレス因子によって、著しい苦痛や機能の障害が生じており、そのストレス因子が除去されれば症状が消失する特徴を持つ精神障害である。

引用元:適応障害 - Wikipedia

仕事や勉強、育児や介護などの特定のストレスの原因があり、それによって身体のどこかになんらかの症状がでてきてしまうこと。

 

私の場合は、適応障害になったことで、以下のような症状が起こった。

 

①仕事に行けないほど強い無力感

②日常生活のふとしたときにおこる強い不安

③生活リズムの乱れ

 

また、以上ような症状が起きてしまうことで、社会的に適応できなくなってしまうことからも適応障害、という名前が付けられている。

うつ病との違いって何?

どちらも「ストレスによって引き起こされる」という共通点がある。

ただ、適応障害の場合は、そのストレス原因から離れることができ、ストレスが消失した場合には症状は軽減されていく。

うつ病の場合は、原因となったストレスが消失し、他に喜ばしいことが起こった場合でも安心したり楽しい気分になったりせずに憂鬱の気分が持続する。

 

他にもさまざまな差異があるかとは思うが、上記のようにストレス因から離れた場合に回復することができるかどうか、症状がどのくらい続くのかどうか、といった違いがあるように思う。

 

私は、一応医師から適応障害疑い、という診断を受けた。似たような症状を経験する事が大学時代もあった事を医師にお話ししたところ、適応障害とは断定しきることはできない、とのことだった。

どんな人がなりやすいの?

 適応障害になりやすい人は、一般的に以下のような性格が挙げられている。

 

・生真面目で几帳面

・心配性

・失敗や苦悩を引きずる

・仕事を断れない

・仕事熱心

 

責任感が強く仕事を遂行する能力に長けているがゆえに、周りから仕事をたくさん頼まれる方がなりやすい傾向にある。

このような方々は仕事を断ることができないために会社外でも仕事のことを考えており、休んでいる間にも関わらず心の底からリラックスできないのだ。どこか、罪悪感を持ってしまう。

 

私もそう。

今年度から新しい仕事をたくさん頼まれたのだが、期待に応えられないような日々が続きやきもきする日々。それでも仕事は増えていき、ひとつずつ丁寧にやろうとすればするほど、仕事時間は増えた。やがて週末も仕事の時間に充てるようになり、まったくリラックスができないことがあった。

 

このエントリを読んで、少しでも当てはまるような方は、どうかいったんストレス原因となっているものから離れるため、精神科・心療内科の受診をおすすめする。

私が高校卒業直後に海外大学に留学した理由

このブログでは、何回かエントリに分けて以下の3点を実体験などを

織り交ぜながら説明したいと思っている。

 

1. 私が海外大学留学までに至った経緯

2. 海外大学に進学することによって得られるメリット・デメリット

3. 実際に取った手段

 

まず初めに、私が日本の大学に進学せず、アメリカ・カリフォルニア州の大学に

進学を決めた理由を説明していきたい。

 

留学をした理由

1.海外への漠然とした憧れ

家はそこまで裕福ではなかったので、海外旅行に行ったことはなかった。

事実、私が本州を出たのはアメリカに行った時が初めてであったくらい

旅行とは縁遠い生活を送っていたと思う。

それでも太平洋の向こう側にどのような人が住んでいるのか、

どのような文化が根付いているのか、などといった漠然とした

興味と憧れを持っていた。

 

2.英語が得意科目だった

中学校時代に行っていた塾が英語の文法を面白おかしく教えてくれるところで、

ここで英語の基礎を叩き込まれた。毎回の中間・期末考査の対策も、試験範囲の

教科書の英文と英単語をまるまる暗記するという極めて原始的な方法をとっていたが

これが私にはまり、中学校一年生から高得点をたたき出していた。

英語の文法問題を解いて丸を付けるときが楽しくて、中3の初めに中学校の学習範囲を

終えて高校レベルの英語学習を始めていた。

 

3.専攻を決められなかった

私は高校時代とにかくいろんなものに興味があって、できることならなんでも

知りたいと思っていた。そういった強い関心を持っているのに、大学を入学する前、

受験勉強をする際に大学で集中的に学ぶ科目を決めてしまうことができなかった。

得意なのは文系科目なのはうすうす感づいてはいたが、それでも「やってみなきゃわからんだろ」と思っていたのである。

 

4.一般的な "日本のレール" に乗りたくなかった

高校時代に勉強して有名な日本の大学に入学してから、その学歴を使用して

日本の大手企業に入社し、出世コースを歩み、結婚し一軒家に住んで子供を育て、

定年になったら引退して年金暮らし、という人生を高校時代歩みたいと思わなかった。

どうせ生きるなら、自分でも信じられないようなことをたった一度きりの人生で

やりたいと思った。

そのためには、日本の大学に行ってしまったら、その思いも消えてしまうのでは

ないかとうすうす気づき始めたのである。

 

5.たくさんの国々から集まる学生たちと生活してみたい

英語を勉強して、日本という国の外にはとにかくたくさんの人がいることを知った。

アメリカに限らず、日本が属するアジアひとつとっても多様性がすごいし、

南米、ヨーロッパ、中東、アフリカなどいたるところで人々が生活している。

この人々が一か所に集まって生活することで、より文化的な相互理解が深まるし、

日々ニュースで騒がれている外交問題もちょっとは減っていくのではないかと思った。

日本人として、というよりもっと大きな視点に立って物事を動かしていきたい、と

純粋に高校生として思ったのだ。

 

以上が、私が高校生ながらにして思った海外留学をしたいと思った理由である。

堅苦しく書いているが、要は純粋に日本を出てみたかった。それに尽きる。

 

 

 

 

 

忘れられた自己紹介

自己紹介

Danielってどんなやつ?

名前の由来

私がアメリカ・カリフォルニア州の4年生私立文系大学に留学していた際に4年間ずっとルームメイトだった子の名前である。

彼はアメリカ人で、10秒に一回アメリカンジョークを言うような毛むくじゃらのイケメン。「人生なんとかなるさ」っていうのが彼のモットーらしい。

彼に対する敬意が3割、あとはふざけ半分でこの名前を選択。そういえば日本人ブロガーで英語名を選んでいる人ってあんまりいないようだ。Danielって結構よくあるアメリカ人の名前なんだけど。

 

経歴

アメリカ・カリフォルニア州で5年間留学。

1年目は語学研修でみっちり英語の修行。

3年目の夏休みに二か月バングラデシュでのインターン

4年目でフランスに更に4か月間の交換留学に行く。フランス語を学ぶかたわらヨーロッパ各国を旅行。

5年目の卒業論文で東南アジアと日本の経済・政治関係に関して研究。

現在は日本に帰ってきてエンジニアとしてIT企業に勤めており、世界に再度打って出る機会を虎視眈々と狙う。

 

 

My Hobbies / Interests

旅行

訪れた国のリストは以下。(随時更新予定)

アジア...韓国、インド、バングラデシュ

アメリカ大陸...アメリカ、カナダ、

ヨーロッパ...フランス、ドイツ、イギリス、ベルギー、スイス、ポーランド

 

IT全般

幼いころからホームページ管理に関心がありHTMLをかじる。大学でIT Help Deskでヘルプデスクテクニシャンとしてアルバイト。現在は日本に帰ってきてセキュリティエンジニアとして仕事中。

 

野球

人生の8年間を野球に費やした。ずっと外野手としてプレー。

 

音楽(特に打楽器)

幼稚園の頃から合奏で楽器をするときは太鼓を選んでいた根っからのパーカッショニスト

中学校からロックバンドでドラムを始めて高校では野球に専念したが引退後に再びバンド結成。

大学では和太鼓の心臓をえぐるような打音に感動して和太鼓クラブに5年間所属。

 

お笑い

しんどい時はいつもYoutubeでお笑い動画を見る。宮川大輔さんが世界の果てまでイッテQの企画でやっているお祭り男が大好き。

 

Les Mis.ってどんなブログ?

Why this blog?

上記に示した私の関心に基づいて、世界各国を旅行した際の経験、その国々の文化、生活様式に関して情報発信を試みたい。他にも関心事を多数上げたので、そのテーマに沿って記していくブログにしていきたいと思う。

Purpose

海外留学を通して学んだことは、「ちがいを受け入れる寛容性」である。

熊本地震があった後に、SNS上で楽しいことをシェアしようとする有名人のブログやツイッターアカウントに対して「不謹慎である」とのバッシングが相次いだ。

そのような寛容的でない文化がちょっとでも緩和されたらいいなという願いを込めて情報発信をしていきたいと思う。

急性適応障害になった。

急性適応障害、との診断を受けました。

適応障害とは、何か精神的原因(主にストレス)により、自分の置かれている環境との適合ができないと感じる精神疾患です。それが慢性・重症化するとうつ病と言われています。

 

サラリーマンの生活でいうと、仕事(ストレス)が原因で心に不安や緊張を抱いた状態が長続きしてしまい、意欲を感じられず、不安や緊張、さらには吐き気やめまいなどの身体的症状まで出てしまうことがあるようです。適応障害は、明確なストレスの原因となるものがわかっている場合が多く、職場から離れる休日などは適用障害の症状を感じることがないようです。

 

また、適応障害うつ病の一歩手前の状態といわれています。上記に上げた適応障害の症状が慢性的に強く感じられる場合が、うつ病となります。やる気が起きないため何をするにも億劫になってしまい、今いる環境で求められていることに適用できない状態に長い期間なってしまうことです。

 

以上のような適用障害の説明を目にした後、私の生活を振り返ってみるとやはりそのようになる原因はたくさんあったんだなと実感いたしました。

 

そもそも、海外大学を卒業して日本に帰ってきて、こてこての日本企業に勤め始めてから逆カルチャーショックの毎日でした。社員旅行で新人が恥さらしの芸をしたり、上司にお酌をしなければならなかったり、先輩に気を使って異論があってもなにも言えなかったり、等々。

 

今週の日曜日の朝からなんとなくだるいような気分があって、その日に行こうとしていたセキュリティイベント、Capture The Flag(CTF)をキャンセルして自宅でじっとしていました。

 

翌日の月曜日の朝は無理して身体をベッドから起こしたものの気分がだるく、朝食も食べる気にならないまま始業時間ぎりぎりまで会社に行くか行かないか迷った挙句に出社。確かPharell WilliamsのHappyを聴いて無理やり元気を出そうとしていました。

 

先週から引き続いている脆弱性対応に関するメールのキャッチアップを行いつつ、メールの返信をしていたところ、私の返信に対して「いみがわかりません」と一言かえって来ていました。そのときですかね、私の中で糸が切れてしまったような気がしました。そのメールでは意味わからないメールを返信したことに対して謝りのメールをしたのですが、それ以降は一切何もする気になれず、早退してしまいました。

 

以降の二日はずっと寝ているだけ。不安と罪悪感と後ろめたさと葛藤にかられながら暗い部屋で何もせず過ごすというのはなかなかしんどいことです。寮に住んでいるので食堂しか食べ物へのアクセスがなく、研修中の新人君たちが我が物顔で食堂を占拠している中ひそひそと食べる晩御飯はなかなかしんみりくるものがありました。いや、そんなことを感じている余裕もなく、ただただ暖かいシチューを口に運んでいた気がする。

 

そして本日、会社を再び休み当日予約のできるメンタルクリニックへ。

 

1時間程度の臨床心理との問診がありました。どうして今のような症状になってしまったのか、何が起因なのか、少し具体的に掘り下げていってあまり思い出したくないようなことも話しました。話すことで少しは楽になりました。

 

問診を終えて、受付で待っていると精神科医に名前を呼ばれました。部屋に入ると、窓の目の前で白い部屋と家具に反射してすごいまぶしかった印象があります。患者さんのためを思ってできるだけ明るい印象をつくっているんですかね。気分がちょっと明るくなったなって感じました。

 

そこでは先ほどの臨床心理士との問診に関しての質問を受けて、診断結果と薬の摂取方法、これからの過ごし方についての話を頂きました。今は水曜日ですが、とりあえず今週いっぱいは会社を休むこと。軽い抗鬱剤である薬を飲んで経過を見る。すぐに結果が出る人もいるが、なかなか結果が出ない人もいるのでその場合は長期間休む必要があるかもしれないね、とのこと。

 

後ほど、その旨を部長にも報告して休みの了承、今後のことに関して話しました。このような状況までもすごい理解してくださる方で、私にかける言葉も優しく、本当に上司に恵まれているなと実感いたしました。

 

これからまたどうなるかはわからないですが、落ち着いて経過観察をしていきたいと思います。

2016年・5月度座談会御書「開目抄」

二〇一六年五月度座談会御書のまとめ。

拝読した御文:「開目抄」(二三四ページ七行目~九行目)

我並びに我が弟子・所難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいらるべし、天の加護なきことを疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えししかども・疑いを・をこしてみなすてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし

日蓮大聖人は開目抄を佐渡へ島流し(佐渡流罪)にあわれていた最中に、四条金吾をはじめ、その他弟子たちに宛てて認められました。開目抄は日蓮大聖人が主師親の三徳をそなえた存在であることを仰られています。

ここでいう主師親の三徳とは、以下のような意味となります。

①主・・・弟子達を諸難から庇護する徳

②師・・・弟子達に正しい教えを示し導く徳

③親・・・子に慈愛を注ぎ、育む徳

つまり、この日蓮大聖人は主師親の三徳を具えている末法の御本仏であると解き明かされた重要な御文のひとつです。

 

開目抄の由来と目的

開目抄とは読んで字の如く、日蓮大聖人が弟子たちに功徳がすぐに出なかったり、諸天の守りを感じることができなかったとしても疑うことなく、ただ日蓮大聖人の教えを誠実に信じてついてきなさい、との思いを込めて認められた御文です。

 

日蓮大聖人が佐渡流罪に遭われていた事を知り、当時の弟子たちは迷いの念を抱いていたのです。「正しい教えを信仰しているはずなのに、なぜ私たちの師匠は諸天善神のご加護に遭わずに大難に遭ってしまっているのだろう」と疑いの念を抱いていたのです。実際に、弟子たちの多くも投獄・追放などの諸難に遭遇しており、何千人もの弟子たちが退転してしまいました。

 

その状況を見て、日蓮大聖人は開目抄を認められることで「この教えが正しいからそのような難が起きているのである。つまり正しい証拠であるのだから、迷いを捨てなさい(=目を開きなさい)」と激励されているのがこの開目抄となります。

 

開目抄の概要

開目抄の冒頭で、日蓮大聖人は元来多くの信者がいた儒教バラモン教主師親の三徳を示してきたものの、その教えそのものが人々の生命の不平等さを説いていたために限定された三徳であった、と述べられます。それらの外道に対して、仏教の根幹である法華経の文底に込められた"一念三千"こそが成仏の法であると明らかにされています。

 

開目抄の後半では、日蓮大聖人は「法華経の行者が難を受けるのは経文通りである」ことを示されます。そして、「たとえ諸天からの加護がなくとも、末法の世の中にあえぐ民衆を救済するためにこの法を弘め、日本の柱・大船へと精進していくのだ。」との誓いを絶対に破ることはないと宣言されます。また、弟子たちにもどんな難があったとしても信心を貫き通すことで必ず仏界に至ることができると教えられます。結びに、この大誓願を果たしゆく日蓮大聖人こそが末法の民衆救済をする主師親であると示されます。

 

開目抄から学び取れること

・疑う心はやがて信心を破壊する。

一生成仏を目指す過程において三障四魔が競い起こり、三類の強敵は必ず出現します。マラソンのゴールを目指して走っている際に向かい風を感じたり、脚や身体が痛くなってしまったり、登り坂に面してしまったり更には悪天候に見舞われたりとしてしまうように、前に進んでいる人にとって必ず障害となるものが現れます。「なんでこのように障害ばかり現れるのだろう」と思ってしまっていてはゴールへはいつまでたってもたどり着けず、やがてゴールへの歩みすらやめてしまうことでしょう。

 

・純粋な信心で何事も乗り越えられる。

信心を疑わない心を持つことで、いかなる苦難も勝ち越えていく強力な生命力を自らの心から湧き出すことができるのです。たとえ自分がどんなに逆境におかれていたとしても、信心を貫き通すことで自分も周りもあっと驚くような結果を出すことができます。会社で嫌味を言う上司がいて集中することができなかったり、学校で友達から冷たくされてしまったり、どんなに頑張っても結果が出ずに周りからも見放されてしまったとしても、ひたむきに疑うことなく信心に励むことが重要なのです。

 

日本語御書と英語御書の比較

英語の御書(The Writings of Nichiren Daishonin、又はWND)では、この御文は以下のように翻訳されています。

Although I and my disciples may encounter varous difficuties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a mater of course attain Buddhahood. Do not have doubts simply because heaven does not lend you protection. Do not be discouraged because you do not enjoy an easy and secure existence in this life. This is what I have taught my disciples morning and evening, and yet they begin to harbor doubts and abandon their faith. 

 太字で下線を引いた部分は、"現世の安穏ならざる事"に対応する部分ですが、直訳すると「あなたがで簡単で安全な人生を歩んでいないこと(にやる気を失ってはならない)」となります。安穏は「心静かに落ち着いている様子」となります。この二つの意味を合わせて日蓮大聖人がこの御文を通して伝えたいのは、「簡単に乗り越えられる問題にのみぶつかる人生などなく、またそのような浅はかな人生を求めてはならない」ということではないでしょうか。

 

ゴールデンウィークが明けて、今まで通りの生活に戻った方々がほとんどかと思います。長期の休みで旅行にいったり、母の日で家族とゆっくり過ごしたりした方々もまた仕事や学校が始まることが憂鬱で仕方なかったのではないでしょうか。また、そういう時こそ問題が起こってしまいますよね。

 

私もそうでした。ゴールデンウィークで進めることができなかったプロジェクトのしわ寄せが一気に来た休み明けでした。打ち合わせや締め切りの過ぎてしまったプロジェクト、休み中に発生した問題などの対応に追われて、「あぁ、のんびりした休みの時に戻りたい」と思ってしまったものです。

 

この開目抄の御文を拝して、難しい問題だからこそ私たちは成長できるのであるし、そもそも乗り越えられるからこそ問題に直面するのだと思います。蓮の花が泥の沼から綺麗に咲くように、寒い冬を耐えて春に爛漫の桜が咲くように、辛いことがあっても難しい問題があっても、どんなに周りの人たちから理解を得られずに中傷を受けたりしたとしても、諦めずに祈り行動していくことが必ず幸福につながります。

 

今月もどうか、お互いに支えあいながら成長してまいりましょう。